にざんさのお気楽日記

ラーメンを中心とした食べ歩きと旅の記録です

祖母ちゃんを送ってきました(´;ω;`)

 

 母方の祖母ちゃんが、99歳の天寿を全うし、お浄土へ旅立ったので送ってきました

                                     (-_-)

約10年ほど前から認知症になり、施設にお世話になってたのですが、数年前からは

オイラの事も判らなくなり、ここ1年ほどは母のことも判らなくなっていました (-_-)

ただ、特に大きな病気をすることもなく、9月には白寿を迎え、ホントに元気で100歳を

迎えられそうと、誰もが思っていたのですが… (-_-)

11月中旬より少し体調を崩して関連の病院に入院していたものの、至って元気ですぐに

退院できそうやったのですが、12月に入りお医者さんから、かなり全体の数値が悪く

年は越せないでしょうとの告知が… (*_*;

だんだんと意識も無くなって行き、遠方に住んでる親族やオイラの従弟も見舞い来た

のですが、今月8日頃からはずっと昏睡状態に… (-_-)

この段階でもう、お医者さんからは「いつ逝かれてもおかしくない状態です」と宣告

され、もう延命措置もすることなく、家族や親族一同、ただただ見守るしかない状況が

続いていました (-_-)

そして、12月16日にオイラの母や叔父夫婦、親族が20:00頃まで病院に付き添って

いたのですが、容態が安定していたので一旦家に戻ったのですが、深夜12:00頃に

叔父から容態が急変したとの知らせが (*_*;

急いで母と妻と病院へ向かったのですが、誰も間に合わず、12月17日 0:08に

祖母はお浄土へと旅立ちました (´;ω;`)

 

金沢の比較的 裕福な家に生まれ、当時としては珍しい女学校にも通い、卒業後は

就職もしたそうです(*´ω`)

たまたま自宅近くの病院の近くで産気付いた妊婦さんを介抱した事がきっかけで、

助産婦さんの道を志し、京都まで勉強に行き昭和20年に助産院を開業し、

後に祖父ちゃんと所帯を持ってからは長年 旧松任市内の産婦人科医院で助産婦として

働き、生涯で約17,000人の赤ちゃんをとり上げたそうです。

また、助産婦を引退してからも保健指導員として産後のお母さんや赤ちゃんのケアで

要請があれば各地を訪問しお世話をして周ることが生きがいでした (*´ω`)

 

オイラ達、孫にとってはホントに優しくもあるのですが、躾けにはめちゃめちゃ厳し

かったですね~…

でも、他人の悪口や噂話などは一切口にせず、祖母の両親が信仰してた宗教の手伝いも

後を任せる親戚に任せられるまで、一生懸命に守り抜き、いつもニコニコと笑っている

生き様は、ホントに一本芯が通っていて正に尊敬できる存在でした… (´;ω;`)

オイラは中学生の頃に足のケガで約3か月間寝たきりの半年以上の入院生活を送った

のですが、寝たきりの間の日中は、ほぼこの祖母が付き添ってくれて、学校に行けない

オイラに、昔得意だった数学を教えてくれたりと、ホントにこの祖母が居なければ、

今のオイラはあり得ない・・・感謝しても感謝してもし足りないです (´;ω;`)

余命宣告されてから、昨日の葬儀が終わるまで、少しだけでも恩返しが出来たかは

解かりませんが、とにかく無事に、祖母ちゃんを3年前に先に逝った祖父ちゃんの元へ

送り届けられたかと思います。

 

これからも祖母ちゃんの生き様はオイラの生きる上での目標です!

どうぞまた、オイラがダメなときは空の上から叱ってください!

でも、取り敢えずは祖父ちゃんと一緒に静かに休んでください・・・

ホントにお疲れ様でした! 

そして・・・ホントにホントにありがとうございました! m(__)m